阪神大震災追悼2018年01月17日

神戸三宮2002年秋
神戸の震災は1995年の今日。早朝ゆらゆら揺れて起きたものの、また寝てしまい、起床したのは7時。TVをつけると、大阪の確か心斎橋のコンビニの棚が崩れている映像が流れ、その時は大阪が被害の中心のように報じられていました。ところが、8時頃になって神戸上空ヘリコプターからの実況が入るようになり、大変な被害が神戸で起きていることがわかりました。ワイドショーの司会者が「もっと寄って寄って!」とヘリ側に伝えたのと、座談会参加の地震学者が「そろそろ起きると思っていました」という意味のことを喋っていたのを覚えています。地震学者のいう「地震予知」に疑問を感じるようになったきっかけでもありました。

そしていささか不謹慎ではありますが、思い出すのはこの地震で仕事の納期が延ばされたことです。当時、大阪の会社から十注していた案件があり、納期が遅れていたか当日FAXでの納品であったと記憶しています。しかし震災で大阪との間のFAXが不通になり、結局一週間ほど納期が延ばされたように記憶しています。

写真は2002年の秋に撮影した神戸三宮駅前です。駅前付近はすっかり復興し、地震の被災を思わせるものは目に入りませんでした。95年以前にも神戸三宮へは行ったことがあり、風格のあった旧駅ビルも写真に収めたのをよく覚えていますが、考えてみれば当時はデジタル写真ではなかったのですね。フィルムがどこかに保管してある筈ですが、スキャンするのは面倒で。結構膨大になっているネガフィルムとポジフィルムのデジタル化は、私的にも大きな課題です。

変な夢のこと2018年01月17日

加齢による老化なのでしょう、忘れっぽくなりました。恥ずかしながら、ついこの前のことがなかなか思い出せない。今も、NHKの朝出ているアナウンサー、あの、今度降板するらしい有名な、紅白の司会をした女性アナウンサーの名前が思い出せません。首藤・・・は奈知子だし、・・・あ、有働だった有働。が、その下が出てこない。有働ナニ子だったけ? ・・・と、こんな調子です。

そういうボケた自分であるのに、頭にずっと残っている妙な夢があるのですね。ひとつは、これは昔から子供の頃から希に見ているアセチレンガスの匂いを伴う火星が回転している画像の夢。もう一つは、仕事先だった格別親しくもないM氏と共に見た巨大UFOの夢。UFOの底部に大王に似た文字のようなものが描かれていました。これも具体的に覚えていたのを忘れてしまった。さらに、木工所みたいな建物で住まっているのか働いているのか、生活感のある夢。そして、なぜか先祖の墓のある場所だと思う場所の何もかもがなくなって石と赤土の丘だけになってしまった荒涼とした風景。そこで「言葉だけが唯一伝え得るものだ」と確信したことまでが夢なのです。これらの夢が忘れられません。変容しているのかもしれないが、こうして書き表すことができます。巨大UFOはもっと何かドラマチックではあったんだけど、詳細はもう忘れてしまいました。

自分は、ある種のパターンの夢を見るタイプなのだと思います。日々新鮮ではなく、いつかどこかで見たような情景や状況に関わりのある夢想をしがちな「癖」があるのだと思います。続編を見た覚えはないけれど、なかなかジャンルを逸脱できないような気がします。

うなされるのは、くすぐられる夢。金縛りにあって動かない状態で誰かの手が脇の下をつつくような夢をよく見ます。大声で叫んだ瞬間に目覚めて我に返るパターン。年に四五回は見るんじゃないでしょうか。

なんでこんな話をしようと思ったかなぁ。・・・思い出せません。

写真は秋田空港のなまはげ。「悪いごはいねがぁ」・・・へい、ここに一人。