今時の若い人らは上等2018年02月04日

市バスに乗っていた。聞くともなしに、男女高校生の会話が聞こえてきた。「こないだM高行ったんだけど・・・」「いいよねM高」「業者さんと思ったら先生で・・・」「(笑)間違えたんだぁ」・・・というような他愛のない会話を延々としている。楽しそうな二人。こういう会話を自分はしたことがなかったなぁと思う。今の若い人たちは、自分たちの頃よりよほど質がいい。しっかりしているし、優しいし、つまりちゃんとしている。ああ、だけど席を譲られるのは勘弁なので、列車内ではいつもなるべく離れて立っているから。

カン詰スシ詰め行列耐性まるでナシ2018年01月25日

新宿西口
大雪で「JR東海は到着後に乗り継ぐ列車がない人に新幹線を開放し、東京駅、名古屋駅、新大阪駅であわせて1918人が車内に泊まった」との報道。正確に人数数えてるんだ。自分が東海豪雨(2000年)で缶詰になった時は、絶対数えられていなかったな。車載自販機の缶ビールは早々になくなり、停車駅のキヨスクは閉まっていて、酒も食べ物も手に入らず、ぼんやりしていたのだろうか。19時頃東京駅出発の列車だったと記憶するが、新富士駅で停車したまま結局朝6時まで車内に居た。当時は喫煙者だったので煙草が買いたかったのと、あまりの空腹で、在来線に乗り換え富士駅から島田、静岡と普通列車を乗り継いで帰ってきた。島田駅の立ち食いうどんの美味かったことは。

歳をとると、トイレが近くなる。だから先日の首都圏の駅での入場規制は恐怖。とてもじゃないが何時間もすし詰めのようになって並んでおられない。辛抱する耐性もないし、東京にはやっぱり住めそうにない。

3千年ぶりの噴火2018年01月23日

気象庁が注視する日本の活火山
草津白根山の本白根山が実に3千年ぶりに噴火。陸上自衛隊相馬原駐屯地ヘリコプター部隊の方が、雪中訓練の最中に噴石に当たって落命されたとのこと。冥福をお祈りします。(火口は本白根山のやや北側と推察されている模様)噴火は3千年ぶり、しかも前兆一切なしということなので、この事前予測は困難というより無理だったでしょう。

思えば、御嶽山の噴火も突然でした。58名もの犠牲者が出た2014年の噴火は記憶に新しいところですが、1979年に突然噴火した際は有史以来の噴火とされたものです。その噴火と1991年の小噴火を自分は名古屋から遠望しています。有史以来の希有な体験ということになりますが、ニュース映像のような明瞭さではむろんなく、よく見れば薄い噴煙がたなびいているように見える程度のものでした。

百武彗星(1996年)も、たまたま北海道の名寄で見ましたが、澄んだ夜空であったにもかかわらず、うすぼんやりと尾を引いた姿が、別に動くことなくそこに見えるというだけで、正直、少々拍子抜けしてしまいました。

何千年ぶりなどということは、地球の歴史ではどうということのない時間差なのであり、その現象もごく近くでなければ明瞭には感じられないのが当然なのでしょう。鹿児島湾(錦江湾)の真下にある姶良カルデラがもしも爆発すれば川内原発が危険だという話がありましたが、もしもそうなれば原発どころか南九州は壊滅、西日本に甚大な被害になります。だから九州には住めない、のでしょうか。日本列島に住まう以上は、受け入れるしか仕方の無いことだと私は考えるのですが。

前言撤回、東京の大雪で各駅入場規制を見て2018年01月22日

twitterの情報によるとターミナル駅はもちろん五反田や大宮など各駅で酷い状況。阿鼻叫喚状態になっている様子。地方民としての見方がどうやら甘かった・・・orz

東京は大変でしょうが少々騒ぎすぎ2018年01月22日

雪の秋田空港
首都圏は大雪が降るそうで・・・と、予報を見れば、なんだ5~10cmじゃないか。それでも通勤・帰宅に大きな混乱が起きるのは確実でしょう。だから大変なのはわかる。が、少し騒ぎすぎじゃないですかね。降るものは仕方ないので、粛々と対処するしかないでしょうに。

雪も台風も東京は大騒ぎしすぎだと思います。正確には東京のマスコミ。マスコミは東京に集中しているので、全国にその大騒ぎが拡散することになる。埼京線が大幅遅れだの、調布でマンホールから水があふれただの、そういうのは東京だけでニュースにしてほしい。

中継と言えば新橋駅前。一度、見たことがありますが、マイクを持って探すTV局と、それを待ち構えるグループが居て、しかも大手企業の社員率が高いと思われ、やりやすいんでしょうね新橋駅前というのは。

おそらく今日も新橋駅前中継が入ることでしょう。「明日から出張なんです頭が痛い」「近場のホテルに泊まろうかと思ったら全部満室」「電車遅れているそうなので早めに退社したのに止まってるし」・・・とかなんとか。それはニュースではないと思います。

TVが新橋駅前から離れるつもりがないのなら、ラジオが神出鬼没の現地取材を敢行すれば面白いと思うんですがね。大雪で止まってしまった電車車内、高層ビルの屋上、バス停、病院玄関、深夜スーパー、郊外の小さな駅等々。災害実況に最も向いているメディアだと思っているし、インターネットとも連携しやすいと思うのですが、どういうわけかラジオは滅多に町中での実況をやらないのが不思議です。もったいない。

煙草と新聞をやめたのは一大決心だったのに2018年01月20日

宮武外骨の著書から抜粋
平成30年。平成元年の瞬間はよく覚えています。たまたま皇居前に居て、午前と午後と空気がガラッと変わったのが強く印象に残っています。あれから30年。岐阜の平成(へなり)村へ行ってみたのはやはり元年だったでしょうか。世紀末(西暦2000年=平成12年)も新世紀もどうということなく過ぎて、平成15年頃に禁煙したのではなかったかな。煙草を一度に2本ずつ吸う荒療治というのかなんというのか、とにかく自分に煙草に対する忌避感を刷り込んで禁煙しました。仕事には甚大な影響が出ましたが。

最近になって、周囲からの煙草の煙を吸うのが今まで以上に苦痛になった気がします。何十年もヘビースモーカーだったので、喫煙者の気持ちも理解できるつもりですけれど。

新聞購読をやめたのは五、六年前じゃないでしょうかね。中学生の頃、(実はサザエさんが読みたかったので)親に強力にプッシュして購読し続けてきた朝日新聞をやめました。自分は結構ペシミスティックになっていたのに、新聞販売店からは何のリアクションもなく、拍子抜けする思いでした。

何十年も続けていたのをやめるんですよ、清水の舞台とは言わないが、公園の滑り台の上から飛び降りる程度の思い切りが要ったんですよと、まぁそんな気持ちでしたが、まったくもってあっさりしたものでしたね。以来、これは購読をやめたことの後悔は一切ありません。むしろ爽快かも。年に一度、元旦にだけコンビニに買いに行きます。

人力車夫が円タクの運転手になるには2018年01月18日

東京モーターショー2017にて自動運転を想定したコンセプトカー
「人力車の車夫が円タクの運転手になったわけじゃねえんだ」と言った方は東京育ちの部長さんでしたが、折に触れ、思い出すことがあります。時代の流れは否応のないもので、変化に応じるのは容易なことではありません。いま話題のEV(電動車)や自動運転がいよいよ本格化するとなると、現在の燃料販売業であるGSはどうなるのでしょう。どの店も電気充電あるいは水素充填ステーションのようになるとは考えられません。既存のEVがそうであるように、当面はRSC(大型ショッピングセンター)や公的施設などでの急速充電と、家庭での長時間充電が使い分けられるのではないかと思われます。たとえGSが充電設備を導入したとしても、エネルギー補給手段が多様化する中では、現在のような有用性を保つのは難しいでしょう。自分自身も含め、時代の即して「円タクの運転手になる」のは容易ではなさそうです。

では、人力車の車夫は、その後どうなったのか。おそらくはさまざまな異業種へなし崩し的に転業したのではないかと推察します。過去の車夫としてのスキルやノウハウが、その後の生活にも大いに役立ったとは考えられません。多くの人は、徒手空拳に等しい再出発を余儀なくされたのではないでしょうか。それでも時代は移り、世の中は回っていく。

私自身は、80年代にワープロやパソコン、コピー機が普及すると、瞬く間に仕事の進め方が一変したのを「体感しました。「プロダクション」と呼ばれたデザイン事務所では、いつも現像液の匂いを放っていた暗室設備が無くなり、カンプ(見本=comprehensive layout)作成に不可欠だった何十色もの色ペンも不要に、それに伴いカンプ作成のスキルも問われなくなりました。

ファクスが導入されると、受発注のやりとりに必須だった紙封筒(カンバン方式に似た役割もあった)が不要になり、ワープロ機によって原稿用紙も消えました。原稿用紙へいかに表現するかに知恵を絞り、赤の色鉛筆でぐいぐい描いてみせる等の「ノウハウ」は無用になってしまったというわけです。

活字組版業は一斉に廃業。数百万円もする初歩的なDTPシステムが当初は注目されましたが、高性能化したマッキントッシュ・パソコンの導入で、そうした大がかりなシステムも淘汰されました。振り返れば、一連のそうした推移は、劇的であったと思います。

変化はチャンスと、企画書には書きますが、なんのなんの、実際は大変なことです。怖いことでもあります。