人力車夫が円タクの運転手になるには2018年01月18日

東京モーターショー2017にて自動運転を想定したコンセプトカー
「人力車の車夫が円タクの運転手になったわけじゃねえんだ」と言った方は東京育ちの部長さんでしたが、折に触れ、思い出すことがあります。時代の流れは否応のないもので、変化に応じるのは容易なことではありません。いま話題のEV(電動車)や自動運転がいよいよ本格化するとなると、現在の燃料販売業であるGSはどうなるのでしょう。どの店も電気充電あるいは水素充填ステーションのようになるとは考えられません。既存のEVがそうであるように、当面はRSC(大型ショッピングセンター)や公的施設などでの急速充電と、家庭での長時間充電が使い分けられるのではないかと思われます。たとえGSが充電設備を導入したとしても、エネルギー補給手段が多様化する中では、現在のような有用性を保つのは難しいでしょう。自分自身も含め、時代の即して「円タクの運転手になる」のは容易ではなさそうです。

では、人力車の車夫は、その後どうなったのか。おそらくはさまざまな異業種へなし崩し的に転業したのではないかと推察します。過去の車夫としてのスキルやノウハウが、その後の生活にも大いに役立ったとは考えられません。多くの人は、徒手空拳に等しい再出発を余儀なくされたのではないでしょうか。それでも時代は移り、世の中は回っていく。

私自身は、80年代にワープロやパソコン、コピー機が普及すると、瞬く間に仕事の進め方が一変したのを「体感しました。「プロダクション」と呼ばれたデザイン事務所では、いつも現像液の匂いを放っていた暗室設備が無くなり、カンプ(見本=comprehensive layout)作成に不可欠だった何十色もの色ペンも不要に、それに伴いカンプ作成のスキルも問われなくなりました。

ファクスが導入されると、受発注のやりとりに必須だった紙封筒(カンバン方式に似た役割もあった)が不要になり、ワープロ機によって原稿用紙も消えました。原稿用紙へいかに表現するかに知恵を絞り、赤の色鉛筆でぐいぐい描いてみせる等の「ノウハウ」は無用になってしまったというわけです。

活字組版業は一斉に廃業。数百万円もする初歩的なDTPシステムが当初は注目されましたが、高性能化したマッキントッシュ・パソコンの導入で、そうした大がかりなシステムも淘汰されました。振り返れば、一連のそうした推移は、劇的であったと思います。

変化はチャンスと、企画書には書きますが、なんのなんの、実際は大変なことです。怖いことでもあります。

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