今時の若い人らは上等 ― 2018年02月04日
市バスに乗っていた。聞くともなしに、男女高校生の会話が聞こえてきた。「こないだM高行ったんだけど・・・」「いいよねM高」「業者さんと思ったら先生で・・・」「(笑)間違えたんだぁ」・・・というような他愛のない会話を延々としている。楽しそうな二人。こういう会話を自分はしたことがなかったなぁと思う。今の若い人たちは、自分たちの頃よりよほど質がいい。しっかりしているし、優しいし、つまりちゃんとしている。ああ、だけど席を譲られるのは勘弁なので、列車内ではいつもなるべく離れて立っているから。
前言撤回、東京の大雪で各駅入場規制を見て ― 2018年01月22日
twitterの情報によるとターミナル駅はもちろん五反田や大宮など各駅で酷い状況。阿鼻叫喚状態になっている様子。地方民としての見方がどうやら甘かった・・・orz
東京は大変でしょうが少々騒ぎすぎ ― 2018年01月22日
首都圏は大雪が降るそうで・・・と、予報を見れば、なんだ5~10cmじゃないか。それでも通勤・帰宅に大きな混乱が起きるのは確実でしょう。だから大変なのはわかる。が、少し騒ぎすぎじゃないですかね。降るものは仕方ないので、粛々と対処するしかないでしょうに。
雪も台風も東京は大騒ぎしすぎだと思います。正確には東京のマスコミ。マスコミは東京に集中しているので、全国にその大騒ぎが拡散することになる。埼京線が大幅遅れだの、調布でマンホールから水があふれただの、そういうのは東京だけでニュースにしてほしい。
中継と言えば新橋駅前。一度、見たことがありますが、マイクを持って探すTV局と、それを待ち構えるグループが居て、しかも大手企業の社員率が高いと思われ、やりやすいんでしょうね新橋駅前というのは。
おそらく今日も新橋駅前中継が入ることでしょう。「明日から出張なんです頭が痛い」「近場のホテルに泊まろうかと思ったら全部満室」「電車遅れているそうなので早めに退社したのに止まってるし」・・・とかなんとか。それはニュースではないと思います。
TVが新橋駅前から離れるつもりがないのなら、ラジオが神出鬼没の現地取材を敢行すれば面白いと思うんですがね。大雪で止まってしまった電車車内、高層ビルの屋上、バス停、病院玄関、深夜スーパー、郊外の小さな駅等々。災害実況に最も向いているメディアだと思っているし、インターネットとも連携しやすいと思うのですが、どういうわけかラジオは滅多に町中での実況をやらないのが不思議です。もったいない。
雪も台風も東京は大騒ぎしすぎだと思います。正確には東京のマスコミ。マスコミは東京に集中しているので、全国にその大騒ぎが拡散することになる。埼京線が大幅遅れだの、調布でマンホールから水があふれただの、そういうのは東京だけでニュースにしてほしい。
中継と言えば新橋駅前。一度、見たことがありますが、マイクを持って探すTV局と、それを待ち構えるグループが居て、しかも大手企業の社員率が高いと思われ、やりやすいんでしょうね新橋駅前というのは。
おそらく今日も新橋駅前中継が入ることでしょう。「明日から出張なんです頭が痛い」「近場のホテルに泊まろうかと思ったら全部満室」「電車遅れているそうなので早めに退社したのに止まってるし」・・・とかなんとか。それはニュースではないと思います。
TVが新橋駅前から離れるつもりがないのなら、ラジオが神出鬼没の現地取材を敢行すれば面白いと思うんですがね。大雪で止まってしまった電車車内、高層ビルの屋上、バス停、病院玄関、深夜スーパー、郊外の小さな駅等々。災害実況に最も向いているメディアだと思っているし、インターネットとも連携しやすいと思うのですが、どういうわけかラジオは滅多に町中での実況をやらないのが不思議です。もったいない。
人力車夫が円タクの運転手になるには ― 2018年01月18日
「人力車の車夫が円タクの運転手になったわけじゃねえんだ」と言った方は東京育ちの部長さんでしたが、折に触れ、思い出すことがあります。時代の流れは否応のないもので、変化に応じるのは容易なことではありません。いま話題のEV(電動車)や自動運転がいよいよ本格化するとなると、現在の燃料販売業であるGSはどうなるのでしょう。どの店も電気充電あるいは水素充填ステーションのようになるとは考えられません。既存のEVがそうであるように、当面はRSC(大型ショッピングセンター)や公的施設などでの急速充電と、家庭での長時間充電が使い分けられるのではないかと思われます。たとえGSが充電設備を導入したとしても、エネルギー補給手段が多様化する中では、現在のような有用性を保つのは難しいでしょう。自分自身も含め、時代の即して「円タクの運転手になる」のは容易ではなさそうです。
では、人力車の車夫は、その後どうなったのか。おそらくはさまざまな異業種へなし崩し的に転業したのではないかと推察します。過去の車夫としてのスキルやノウハウが、その後の生活にも大いに役立ったとは考えられません。多くの人は、徒手空拳に等しい再出発を余儀なくされたのではないでしょうか。それでも時代は移り、世の中は回っていく。
私自身は、80年代にワープロやパソコン、コピー機が普及すると、瞬く間に仕事の進め方が一変したのを「体感しました。「プロダクション」と呼ばれたデザイン事務所では、いつも現像液の匂いを放っていた暗室設備が無くなり、カンプ(見本=comprehensive layout)作成に不可欠だった何十色もの色ペンも不要に、それに伴いカンプ作成のスキルも問われなくなりました。
ファクスが導入されると、受発注のやりとりに必須だった紙封筒(カンバン方式に似た役割もあった)が不要になり、ワープロ機によって原稿用紙も消えました。原稿用紙へいかに表現するかに知恵を絞り、赤の色鉛筆でぐいぐい描いてみせる等の「ノウハウ」は無用になってしまったというわけです。
活字組版業は一斉に廃業。数百万円もする初歩的なDTPシステムが当初は注目されましたが、高性能化したマッキントッシュ・パソコンの導入で、そうした大がかりなシステムも淘汰されました。振り返れば、一連のそうした推移は、劇的であったと思います。
変化はチャンスと、企画書には書きますが、なんのなんの、実際は大変なことです。怖いことでもあります。
では、人力車の車夫は、その後どうなったのか。おそらくはさまざまな異業種へなし崩し的に転業したのではないかと推察します。過去の車夫としてのスキルやノウハウが、その後の生活にも大いに役立ったとは考えられません。多くの人は、徒手空拳に等しい再出発を余儀なくされたのではないでしょうか。それでも時代は移り、世の中は回っていく。
私自身は、80年代にワープロやパソコン、コピー機が普及すると、瞬く間に仕事の進め方が一変したのを「体感しました。「プロダクション」と呼ばれたデザイン事務所では、いつも現像液の匂いを放っていた暗室設備が無くなり、カンプ(見本=comprehensive layout)作成に不可欠だった何十色もの色ペンも不要に、それに伴いカンプ作成のスキルも問われなくなりました。
ファクスが導入されると、受発注のやりとりに必須だった紙封筒(カンバン方式に似た役割もあった)が不要になり、ワープロ機によって原稿用紙も消えました。原稿用紙へいかに表現するかに知恵を絞り、赤の色鉛筆でぐいぐい描いてみせる等の「ノウハウ」は無用になってしまったというわけです。
活字組版業は一斉に廃業。数百万円もする初歩的なDTPシステムが当初は注目されましたが、高性能化したマッキントッシュ・パソコンの導入で、そうした大がかりなシステムも淘汰されました。振り返れば、一連のそうした推移は、劇的であったと思います。
変化はチャンスと、企画書には書きますが、なんのなんの、実際は大変なことです。怖いことでもあります。
阪神大震災追悼 ― 2018年01月17日
神戸の震災は1995年の今日。早朝ゆらゆら揺れて起きたものの、また寝てしまい、起床したのは7時。TVをつけると、大阪の確か心斎橋のコンビニの棚が崩れている映像が流れ、その時は大阪が被害の中心のように報じられていました。ところが、8時頃になって神戸上空ヘリコプターからの実況が入るようになり、大変な被害が神戸で起きていることがわかりました。ワイドショーの司会者が「もっと寄って寄って!」とヘリ側に伝えたのと、座談会参加の地震学者が「そろそろ起きると思っていました」という意味のことを喋っていたのを覚えています。地震学者のいう「地震予知」に疑問を感じるようになったきっかけでもありました。
そしていささか不謹慎ではありますが、思い出すのはこの地震で仕事の納期が延ばされたことです。当時、大阪の会社から十注していた案件があり、納期が遅れていたか当日FAXでの納品であったと記憶しています。しかし震災で大阪との間のFAXが不通になり、結局一週間ほど納期が延ばされたように記憶しています。
写真は2002年の秋に撮影した神戸三宮駅前です。駅前付近はすっかり復興し、地震の被災を思わせるものは目に入りませんでした。95年以前にも神戸三宮へは行ったことがあり、風格のあった旧駅ビルも写真に収めたのをよく覚えていますが、考えてみれば当時はデジタル写真ではなかったのですね。フィルムがどこかに保管してある筈ですが、スキャンするのは面倒で。結構膨大になっているネガフィルムとポジフィルムのデジタル化は、私的にも大きな課題です。
そしていささか不謹慎ではありますが、思い出すのはこの地震で仕事の納期が延ばされたことです。当時、大阪の会社から十注していた案件があり、納期が遅れていたか当日FAXでの納品であったと記憶しています。しかし震災で大阪との間のFAXが不通になり、結局一週間ほど納期が延ばされたように記憶しています。
写真は2002年の秋に撮影した神戸三宮駅前です。駅前付近はすっかり復興し、地震の被災を思わせるものは目に入りませんでした。95年以前にも神戸三宮へは行ったことがあり、風格のあった旧駅ビルも写真に収めたのをよく覚えていますが、考えてみれば当時はデジタル写真ではなかったのですね。フィルムがどこかに保管してある筈ですが、スキャンするのは面倒で。結構膨大になっているネガフィルムとポジフィルムのデジタル化は、私的にも大きな課題です。
上から目線の意義と意味 ― 2018年01月07日
「ですます」で書いてみたり「だ、である」の文語体にしてみたり。まぁしかし、「成分表示」なのだから、あんまり考えずに露出していこうと思います。 写真は羽田空港から関東平野上空へ上がったところ。こういうのも上から目線というのでしょうかね。高いところに上ればずっと遠くまで俯瞰できる。JAXAの川口淳一郎教授がよく言うように「高いところに上らなければ見えない景色がある」わけです。だからいつぞや「二番目ではダメなんですか」と言い放った権力者に学者達が反発した。てっぺんに立ってこそ、誰よりも遠くまで見渡せ、広い視野と視座を獲得できる、それこそがかけがえのないことなのだと。
初めての土地を訪れた時は、なるべく高いところへ上るようにしています。昔々、石巻の日和山公園から見渡した景色もよく覚えています。忘れません。
初めての土地を訪れた時は、なるべく高いところへ上るようにしています。昔々、石巻の日和山公園から見渡した景色もよく覚えています。忘れません。
わたしの、ぼくの、むねのおくの ― 2013年04月16日
「・・・いいや、吞もうかねと独りウヰスキー。イより「ヰ」のほうが格好良いよな、「ゐ」もいいけどさ。どうでもいい話だ」--と、実験的にblogを書いてみたのを長い間忘れていたので、本日2017年9月14日夜に復活。
最初にこういうものをやり始めたのは90年代の終わりか2000年代の初め頃ではないかと思います。当時は「醤油やソースに成分表示があるように、自分も成分表示をしてみたい」ということで、呟きめいた事柄や電子小説もどきを書いていました。それから幾年月、作っては止め、止めては作り、ここ何年かは「情報収集」でtwitterを利用するぐらいでSNSでの発信は行ってきませんでした。
朝日ネットにはもう何年入ってるかな。パソコン通信のニフティサーブから乗り換えてからずっとですから、勤続表彰ものだと思いますが、報償どころかマニュアル一冊贈ってきません。メルアドを人質に取られているので、おいそれと乗り換えることもできず、ならば、機能をとことん利用してやろう少しでも元を取ろうと、休眠blogの再開を決めた次第です。風強く、台風接近が伝えられる夜、焼酎水割りを呑みながら。では・・・
ちなみにここにあげた写真は名古屋の(トヨタグループ)産業技術記念館の建物外壁を撮影したもの。煉瓦は、日本においてもっと一般住宅の外装材として普及しても良かったと思いますが。(2017年9月14日記)
最初にこういうものをやり始めたのは90年代の終わりか2000年代の初め頃ではないかと思います。当時は「醤油やソースに成分表示があるように、自分も成分表示をしてみたい」ということで、呟きめいた事柄や電子小説もどきを書いていました。それから幾年月、作っては止め、止めては作り、ここ何年かは「情報収集」でtwitterを利用するぐらいでSNSでの発信は行ってきませんでした。
朝日ネットにはもう何年入ってるかな。パソコン通信のニフティサーブから乗り換えてからずっとですから、勤続表彰ものだと思いますが、報償どころかマニュアル一冊贈ってきません。メルアドを人質に取られているので、おいそれと乗り換えることもできず、ならば、機能をとことん利用してやろう少しでも元を取ろうと、休眠blogの再開を決めた次第です。風強く、台風接近が伝えられる夜、焼酎水割りを呑みながら。では・・・
ちなみにここにあげた写真は名古屋の(トヨタグループ)産業技術記念館の建物外壁を撮影したもの。煉瓦は、日本においてもっと一般住宅の外装材として普及しても良かったと思いますが。(2017年9月14日記)

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